すぐれた技術から生まれる表現が好き

私は最近、自分がなにに価値を感じるのかについて考えることがありました。そして、私が最近予約した HATRA 2023SS の『Spectre Sweater』がその答えだと気づきました。

このセーターは、分光をグラフィックに仕立て、それを6色の原色糸を使用したジャカード織りで表現しています。織りの編み目一つ一つが液晶のドットに相当するような具合になっており、まるで液晶を虫眼鏡で拡大したような印象を受けました。液晶のような、しかし、やわらかさがあります!これはジャカードのような複雑な織りが可能だからこそなし得た表現でしょう。きっと、布へのプリントで表現していた場合、私はここまでの感動を得られなかったと思います。

実は、HATRA の受注時には一度見送ってしまったのですが、どうしても気になって仕方のない服でした。少ししてから、 palm maison で再予約が始まっていることを知り、すぐに予約しました。商品ページを見ると、すでに SOLD OUT になっていたので、購入して良かったです。

まだ商品は手元に届いていませんが、このセーターのように、その技術でなければ得られない表現については、とても魅力を感じます。自分はすぐにフィギュアやプラモデルを欲しがりますが、結局、所有してからも長いあいだ矯めつ眇めつ眺めているのは、素晴らしい技術から生まれた表現であることがほとんどです。ぬいぐるみを手に取っても、縫い目から想定される型紙に感動が得られなければ、買わないことがしばしばあります。

また、最近見た作品の中では、新工芸社の『三色混平編重パンデミック型花生』がとても印象的でした。この作品は、熱溶解フィラメント方式の 3D プリンターをうまく活用しており、3色のフィラメントを1本にまとめて出力することで、見る角度によって色が異なる不思議な作品に仕上がっています。このような作品に出会うと、驚きや感嘆を覚え、長いあいだ節約してでも手に入れたいと感じてしまいます。

人が価値を感じるものは様々ですが、私は特に技術から生み出される物質的な表現に価値を感じるようです。

モノと対話してカスタマイズしていくこと

自分が所有する自転車やパソコンをいじり、自分の好みに合わせてカスタマイズすることで、自分自身を表現し、自己満足を得ることができます。使いながら、自分に必要な機能や不要な機能を吟味することは、自分と物との対話のようでもあります。

さて、今回、オフロードバイクを手放すことを決めたため、自転車を快適にするために何ができるのか、何を変更すべきかを考え始めました。その結果、自転車の改造にはまってしまいました。

私が所有しているのはCannondaleのエントリーモデルMTBで、2017年モデルのTRAIL 6です。この自転車を選んだ理由は、静岡に引っ越す場合、林道遊びができるかもしれないという期待と、MTBの外見がとてもかっこいいという理由でした。ゴツいフレームと太いタイヤの組み合わせには、惚れ惚れしてしまいます。カラーもマットブラックで最高です。

しかし、購入から2年後になっても、この自転車を林道に連れ出すことはありませんでした。フロントサスペンションは重く、太いタイヤも抵抗を生じる代物となっています。加えて、MTBを屋外に置いていたため、フロントサスペンションやワイヤーがサビまみれになってしまいました。MTBがかわいそうです。

そこで、不要なフロントサスペンションなどを取り除き、リジッドフォークに交換し、舗装路・悪路に両対応したツーリングタイヤに変更しました。変更を加えた自転車で走り回ってみて、フロント変速は2年間ほとんど使っていないことに気づいたので、フロントシングルに変更することも検討しています。また、坂道を登るときに体勢が悪いため、ハンドル周りを変更する必要もあるかもしれません。改造には多額の費用がかかるため、慎重に検討しています。その一方で、自身の大腿四頭筋の軟弱さを痛感し、こればかりは自転車を改造して解決するのではなく、自分自身を鍛えなければと決心しました。

同様に、パソコンにも魅力を感じます。デスクトップパソコンは、ハードウェアの自由度が高いため、自分自身が好きなようにカスタマイズできます。ハードウェアとソフトウェアの両方を自分好みに調整することで、自分だけのパソコンを作り上げることができます。これにより、パソコンとの対話を楽しみ、自分自身を表現することができます。

自分が所有するモノには、自分自身が反映されていると感じます。モノに変化を加えることで、自分自身も変化することができます。自転車やパソコンなど、自分が所有するモノを通じて、自分自身と対話することで、自分自身を知り、成長することができるのです。

スマホのケースをつけたくない

3年間使ったNexus 6PからPixel 3aに買い替えました。せっかくなので、スマホケースも買おうといろいろなものを検討しましたが、どれもしっくりこないと感じました。結局、カバーをつけずに素体で使うことにしました。

そもそも、スマートフォンは素体のデザインが一番素晴らしいと思っています。Pixel 3aの背面は光沢とつや消しのセパレートになっており、単調さを感じさせません。Nexus 6Pと比較しても、その無駄のない形には惚れ惚れします。凹凸はできるだけ無くし、本当に必要最低限だけを表面に出しただけです。電源ボタンの蛍光オレンジも良いアクセントになっています。デザインを気に入って購入し、大事に扱うためにカバーを付けてしまえば、これらの特徴はすべて失われてしまいます。こんな悲しいことがあるでしょうか。

傷がついたら…もし落としたら…と思うとちょっと落ち着かない気持ちになるかもしれませんが、そもそも落として破損するケースって歩きスマホ8割だと思っていますので、ちゃんと鞄なりポケットなりにしまっておけばよいでしょう。しまうときにうっかり落としたら?それはもう仕方がありません。運が悪いです。傷も日常的に使うものなので、入って当然です。カバーが傷から守ってくれたとして、じゃあその一番大事なデザインっていつ見るのでしょう?わざわざケースを外して、やっぱりいいデザインだな~なんて思うことはなかなかありません。自分は面倒なので絶対にやりません。ケースを交換するときに、見ることがあるかもしれません。

そんなにデザインがいいなら、クリアケースを使ったらいい?そう思ってNexus 6P時代に使ってみましたが、余計な凹凸が生じて美しくなくなってしまいました。また、隙間にホコリやゴミが溜まっていくのは、なかなか堪えがたいことでした。(自分は基本的にものぐさなので、掃除をする気力はありません)。そして、 そのときのケースの素材はTPUでしたが、比較的短期間で黄ばみが発生し、悲しい気持ちになってしまいました。PC素材ならましなのだと思います。

そんなわけで、これからもカバーは付けずに使おうと思っています。しかし、もし落としたりした場合には、日和ってクリアケースをつけることも検討するかもしれません。

結局、本には実体があるほうがよかった

子供の頃から本を読むことが好きだった。
電子書籍が登場しても、気持ち的に紙の本のほうがいいなぁとずっと手を出さないでいた。
しかし、kindle paperwhiteという端末がとても優れている、という話をあちこちで見ているうちにすっかり興味が湧いて、ついに購入したのが2年前。
お風呂で読んでも紙がびよびよにならないことが嬉しくて頻繁に持ち込んだし(当時はまだ防水モデルではないのでよろしくない)、寝るときのお供にも最適で、とても愛用していた。
が、最近はあまり使わず、また紙の本ばかり買っている。



自分は興味の移り変わるスピードが早いことと、あまり収入があるわけでもないので本は購入せずに図書館で借りてくる派だったのだが、この言葉に大変感銘を受けて、それからは興味をもった分野に関して最低1冊は購入することにしている。

背表紙を見ている時間が好きだ。
背表紙を見ていれば内容は思い出せるし、そういえばこんなん買ったな、とか、最近買った本は昔買ったこの本と通じるものがあるな、なんて位置を組み替えてみたり。
墓標となってしまった本は結局読まないままなのだが、目につく場所にあるので、なんらかのきっかけでまた興味が沸くかもしれないことを期待している。

ところで電子書籍、この点で本に及ばない。
Kindleは新しく買ったもの、最近読んだものは先頭のほうに表示されるが、そうでなければどんどん後ろのほうへと流されていく。
そうすると、興味を失ってしまった電子書籍が目に触れる機会はどんどん減っていく。墓標というより埋葬のほうが近いような。埋まってしまうので。
ライブラリ画面をスクロールしながらなに買ってたかなぁ、なんて確認するくらいなら、背後の本棚を振り返って眺めるほうが性に合う。

別に電子書籍が嫌いなわけではないし、管理の仕方を変えれば改善されるのかもしれない。
ARかなにかで電子書籍も本棚のように表示できたらそれが一番ハッピーな気がする。
手のひらの画面をスクロールするんじゃなくて、一面の情報をぼんやりと眺めたいんだ自分は。


意識の高そうなサブタイトルが鼻につくが、本棚に向き合う姿勢が変わった本。よかった。
本棚にもルールがある---ズバ抜けて頭がいい人はなぜ本棚にこだわるのか